2003年阪神タイガース優勝のスタメンメンバーを詳細に語ります

サムネイル 阪神タイガース 2003優勝

2003年、阪神タイガースはぶっちぎりの強さでリーグ優勝しました。

僕は当時高校生でした。もう17年前になりますが記憶まだまだ鮮明なので、当時のリアルタイム感を思い出しながらお伝えします。

目次

2003年阪神タイガースのスタメン

まずは2003年のスタメンメンバーを紹介します。

打順ポジション名前
1セカンド今岡
2センター赤星
3レフト金本
4ライト桧山
5ファーストアリアス
6サード片岡
7キャッチャー矢野
8ショート藤本
9ピッチャー詳しくはこちら

濱中が途中離脱した前後で変わりますが、主にこのメンバーがスタメンだと思います。

1番に首位打者を獲得、さらに長打もある今岡。2番には盗塁王の赤星。3番にチームバッティングに徹した鉄人・金本。4番は繋ぎの2003年打線を象徴する桧山。

5番に長距離砲・アリアス。6番は濱中の穴をしっかり埋めてくれた片岡。7番・8番に恐怖の下位打線と呼ばれた矢野・藤本。

第三次ダイナマイト打線

2003年の強さの秘密はまず超強力な”繋ぎ”の打線です。

スクロールできます
打順/守備/名前打率本塁打打点盗塁
1/二/今岡.34012721
2/中/赤星.31213561
3/左/金本.289197719
4/右/桧山.27816631
5/一/アリアス.265381072
6/三/片岡.29612551
7/捕/矢野.32814791
8/遊/藤本.3010369

実は本塁打はリーグ5位と決して多くないんです。本塁打を20本以上打ったのは38本のアリアスだけです。

しかし、単打・二塁打・三塁打・四球・盗塁はすべてリーグ1位。1試合平均5.2点を誇る得点力がこの年の最大の特徴でした。

僕は当時祖父母宅に住んでおり、18時の試合開始と同時に夕食が始まるのですが、食べ終わる頃には大差がついて試合が決まっている、なんてこともよくありました(笑)

1番セカンド 今岡

打率本塁打打点盗塁
.34012721

打率.340で首位打者を獲得した核弾頭・今岡です。1番打者は足が速い選手が務めるのが一般的ですが、今岡は決して足が速いわけではありません。プロの中では遅い方です。

高打率を誇るバッティングで初回から相手の先発投手を苦しめてくれました。長打力もあり、本塁打は12本。しかも、そのうち7本は初回先頭打者本塁打です。

さらにそのうち5本は初球でした。2試合連続で先頭打者初球本塁打を記録したことも。

前半で試合を決める強さの秘訣はこの核弾頭・今岡にあったんです。

2番センター 赤星

打率本塁打打点盗塁
.31213561

今岡を何とか抑えても、次に出てくるのはこの赤星です。盗塁数は球団記録の61。3年連続で盗塁王に輝きました。

長打力には欠けるものの、打率も.312と確実性の高い粘りのバッティング。今岡を抑えても次の赤星に出塁され、あっという間に盗塁されて1アウト2塁。

そして、繋ぎの3番・4番・5番に打たれてラクラク得点、という場面を何度も見ました。

3番レフト 金本

打率本塁打打点盗塁
.289197718

3番に座った金本は成績の数字だけ見ると、そこまでパッとしないんですよね。もちろん十分良い成績なのですが。

しかし、金本は数字以上に繋ぎの打線を支えてくれました。2番赤星の盗塁サポートに始まり、自身でも18盗塁。

打っても19本塁打・77打点。広島時代や2004年以降の金本の成績を見ると、2003年はいかにチームバッティングに徹してくれていたかが分かります。

4番ライト 桧山

打率本塁打打点盗塁
.27816631

開幕当初の4番は和製大砲と期待されていた濱中でした。桧山はアリアスや片岡との併用で一塁手として出場。

濱中が5月に負傷して離脱してからは、4番ライトとしてレギュラーに復帰。繋ぎの4番としてチームを牽引してくれました。

7月2日には史上58人目のサイクル安打も達成。暗黒時代を支えてきた桧山が4番に座って躍動する姿はとても好きでした。

5番ファースト アリアス

打率本塁打打点盗塁
.265381072

中距離打者が多かった2003年のスタメンの中で唯一、長打力で優勝に貢献したジョージ・アリアス。本塁打38、打点107はもちろんチームトップ。

1番打者から4番打者まで連打で得点し、アリアスは本塁打でトドメを刺す。そんな場面を何度も見せてくれました。

5月9日に濱中・片岡・アリアスが三者連続本塁打を打ったんですが、その頃から2003年の快進撃が始まったような気がします。2005年はアメリカ・メキシコでプレーし、2006年にちょっとだけ巨人に入団したのは黒歴史…。

6番サード 片岡

打率本塁打打点盗塁
.29612551

シーズン序盤はサード・アリアス、ファースト・桧山。濱中が離脱後は、桧山が本職のライトに戻り、アリアスはファーストへ。

それからサードを守った片岡。規定打席には到達しなかったものの、スタメン以上の活躍で優勝に貢献してくれました。

正直目立った場面はあまりなかったのですが、6番にこの片岡がドシッといてくれたおかげで打線に厚みが出たと思います。

7番キャッチャー 矢野

打率本塁打打点盗塁
.32814791

8番の藤本と共に恐怖の下位打線と呼ばれた7番・矢野。7番打者でこの成績ですよ。相手ピッチャーからしたら嫌過ぎるでしょう。

打撃はもちろん、守備でもシーズンを通してほぼスタメンマスクを被りました。投手陣の信頼も厚かったのだとか。正捕手がしっかりいるチームは例外なく強いですよね。

日本シリーズで戦ったダイエーホークスの正捕手・城島が、まさか7年後にライバルとして入ってくるなんて、この時は夢にも思わなかった。

8番ショート 藤本

打率本塁打打点盗塁
.3010369

7番の矢野と共に恐怖の下位打線を形成した藤本。8番打者が3割打ってくれるなんて頼もしすぎます。2003年は投手の打順以外、打線に穴がなかったんですよね。そりゃ強いです。

守備でも「猿」と評される軽快な守備を見せてくれました。

大学1年時に椎間板ヘルニアでスポーツはもうできないとまで言われたものの、懸命なリハビリで回復。専門学校や社会人を経由してドラフト7位で入団した苦労人。

2003年阪神タイガースの控え野手

2003年の優勝はスタメン陣に大きな不調・ケガなどがなく、安定したメンバーで1年間戦えたことも要因の一つでした。

初期の4番 外野手 濱中

打率本塁打打点盗塁
.27311483

前々年13本・前年18本の本塁打を放ち、2003年は開幕から虎の主砲として4番に座りました。

開幕から約1ヶ月で本塁打も2桁を超え、ついに覚醒か…と思われた矢先、5月20日に右肩を負傷、さらに6月13日に右肩を脱臼し、チームを離脱。ファン投票で選出されていたオールスターも辞退することに。

濱中の離脱で阪神の快進撃も失速するかと思いきや、皮肉にも勢いは止まらずリーグ優勝。濱中が健在なら2003年はもっと強いチームだったのです。

代打の神様 八木

打率本塁打打点打席
.286021119

ここ一番の場面で起用される代打の神様・八木様。2003年も変わらず代打の切り札として活躍してくれました。勝負強さを買われて4番でスタメン出場することも。

また、当時の阪神では優勝争いをした経験があまりなく、1992年の優勝争いを経験した八木にアドバイスを求める選手もいたのだとか。

ちなみに実は代打での打率は.235とあまり良くないのですが、代打での94安打に対し98打点。勝負強さはピカイチの選手でした。

内野のスーバーサブ 秀太

打率本塁打打点盗塁
.174158

俊足に加え、内野3ポジションを守れるユーティリティでスーバーサブとして1年間ベンチに入り続けた秀太。

控えとして102試合への出場は、実は桧山(111試合)・片岡(110試合)に次ぐ出場数なのです。サブとしていかに貢献したかが分かりますね。

現役最終打席は日本シリーズでの本塁打 広澤

打率本塁打打点試合
.30641537

ヤクルト・巨人・阪神と渡り歩き、3球団で4番打者を務めた強打者・広澤。どこのチームのOBなのかで意見が割れる選手です(笑)

2003年は代打での起用がほとんどでしたが、夏場にチームが失速してからは数試合で4番に座り活躍。

日本シリーズ7戦目に矢野の代打で出場し、ホークス・和田から本塁打。この打席が現役最後の打席となりました。

頼れる控え捕手 野口

打率本塁打打点試合
.2711559

2002年オフに坪井智哉とのトレードで日本ハムより移籍した野口。この前の2年は苦戦していましたが、レギュラー級の捕手を2番手として確保できたことは、2003年の優勝の要因となりました。

捕手は疲労も溜まりやすいポジションなので、2番手の捕手が盤石だとチームの底力がグッと上がります。故・星野監督曰く、金本・伊良部より野口の補強が一番だとおっしゃれたそうです。

規定未達ながら高打率 沖原

打率本塁打打点試合
.34111764

そこまで足が速いわけでもないのに、故・野村監督より6だと語呂が悪いからという理由でF1セブンの一員に任命された沖原(しかも俊足の秀太がなぜか漏れていたため、沖原ではなく秀太でよかった…)

2003年が規定打席には届かないものの、.341と高打率をマーク。今岡の離脱後は1番・セカンドをしっかり守り抜きました。

2003年阪神タイガースの先発ピッチャーは2桁勝利が4人

2003年はエース井川を筆頭に、10勝が4人並ぶ強力な先発陣を擁していました。

名前板数防御率
井川292052.80
伊良部271383.85
ムーア211064.35
下柳261053.73
23833.96

20勝エース 井川

登板数防御率
292052.80

前年14勝・206奪三振をあげた虎のエース・井川。2003年は2年連続の開幕投手を務めました。

左腕から放たれるノビのあるストレート、急激に落ちるチェンジアップ、8完投・投球回200回以上のまさに「エース」でした。

ゲン担ぎで髪を切らなかったのでボサボサの長髪や、居心地が良いからと寮を出なかったり、ゲームや将棋が好きなど変わり者のエピソードも多い魅力ある投手でした。

メジャー帰りの剛腕 伊良部

登板数防御率
271383.85

ロッテは豪腕投手として名を馳せ、メジャー3球団を渡り歩いた右腕が前年に加入。豪快なメージでしたが巧みな投球術で13勝をマーク。2番手ながらエース級の活躍でした。

実は意外にバントが上手く、2003年は15犠打も決めているんです。

バッターでも打率3割 ムーア

登板数防御率
211064.35

規定投球回には達しないものの、10勝を挙げて優勝に貢献したトレイ・ムーア。

投手としても素晴らしい成績を残してくれましたが、この人の魅力は打撃。なんと2003年の打率は.326。NPB通算でも.295打っているのでムーアの打撃は本物です。

7番矢野、8番藤本、9番ムーアと3割打者が並ぶ恐怖の下位打線。

のらりくらり投球術 下柳

登板数防御率
261053.73

2002年オフに2対2のトレードで加入した下柳。優れた制球力で相手打者を翻弄する投球術で10勝をマーク。

2003年ではないですがショート・秀太のエラーにグラブを投げつけてブチギレたシーンは好プレー珍プレーでよく使われる映像です(笑)

救援ピッチャーは50登板以上が3名

名前登板数セーブ防御率
吉野561103.27
リガン293001.51
金澤360102.75
安藤515251.62
ウィリアムス5211251.54

2003年の投手は先発陣に注目が集まりがちですが、救援投手もかなり充実していました。

チーム最多登板 吉野

登板数セーブ防御率
561103.27

サイドスロー左腕。安藤・ウィリアムスと共に50登板以上のフル回転してリーグ優勝に貢献しました。

日本シリーズでも7試合中6登板し、すべて無失点に抑える好投を見せてくれました。

途中加入で防御率1点台 リガン

登板数セーブ防御率
293001.51

2003年シーズン途中から加入したリガン。負けなしの防御率1点台の完璧なピンチングで強力なリリーフ陣の一角を担いました。

目立たないながらも好リリーフ 金澤

登板数セーブ防御率
360102.75

他の吉野・リガン・安藤・ウィリアムスが目立ち、やや目立たない金澤でしたが、36登板で防護率2点台と素晴らしいリリーフ投手でした。

51登板で防蟻率1点台 安藤

登板数セーブ防御率
515251.62

51登板とフル回転しながらも防御率1.62、ウィリアムスと共に勝利の方程式の1角として優勝に多大な貢献をした安藤。

後に先発転向→再度中継ぎなど17年阪神一筋で投げた名投手です。

鉄腕サイドスロー ウィリアムス

登板数セーブ防御率
5211251.54

2002年オフに加入。入団1年目から52登板・防御率1.54と文句のない成績を残した助っ人左腕。サイドスローから放たれるスライダーが印象的でした。

2003年も物凄い活躍ですが、2005年(75登板・防御率2.11)2006年(47登板・防護魚率1.90)2007年(60登板・防御率0.90)と、阪神7年間で通算防御率2.20のスーパー助っ人でした。

その他のピッチャー

上で紹介した先発5名・リリーフ5名以外で印象的なのは藪・久保田です。

名前登板数防御率
23833.96
久保田26553.12

暗黒時代のエース 藪

登板数防御率
23833.96

暗黒時代を支えたエース・藪。2003年は途中不調で中継ぎに移動するもの、後半は先発としても活躍し、8勝3敗、貯金5の活躍を見せてくれました。

2003年から急激に強くなった阪神タイガースですが、暗黒時代のエースもしっかり活躍しているところが2003年の魅力ですね。

ドラフト5位から活躍した新人 久保田

登板数防御率
26553.12

前年オフ、ドラフト5位で入団した久保田。1年目から球団最高記録(当時)を記録する156kmのストレートが武器の投手でした。

2003年は中継ぎ・先発の両方で活躍。最終的に26登板・5勝5敗・防御率3.12と新人選手として申し分のない成績を残しました。

暗黒期~2003年優勝までの道のり

2003年に優勝するまでの阪神タイガースは長い長い暗黒期が続いていました。

ファンになった頃は暗黒期真っ只中

僕がプロ野球を好きになったのは98年頃でした。当時の阪神タイガースは暗黒期真っ只中。

85年に優勝した後に始まった阪神タイガースの暗黒期は非常に長く、87年~91年はほぼ最下位(5位が1度だけ)

92年~94年は2位が1回、4位が2回とやや復調するものの、95年から再び最下位が定位置に。僕が阪神タイガースのファンになった98年から2001年まではずっと最下位でした。

99年からはあの名将・野村監督が阪神タイガースの監督に就任。日本プロ野球界最高峰の捕手であり、大打者。そして、ヤクルトスワローズの黄金期を創ったID野球の野村監督です。

「野村監督なら阪神タイガースを立て直してくれる…」

その期待にも関わらず、阪神タイガースの監督就任3年で3度の最下位…。辛い日々でした…。

2003年の優勝に繋がる収穫は少なからずあった

とは言うものの、野村監督3年間は無駄だったわけではありません。

99年は2軍は優勝しています。この時、後に主力となる濱中・井川・藤川・関本などが躍動していました。井川は後に球界のエースにまで成長しますしね。

2000年オフのドラフトでは2003年優勝時のスタメンである赤星・藤本が入団しました。

2000年のオフは暗黒期の中で輝いてたスター選手・新庄がFAでメジャーリーグに行ってしまいます。

同じ中堅手の赤星は「新庄さんの穴を少しでも埋められるように頑張ります」と言うつもりでしたが、緊張して「新庄さんの穴はボクが埋めます」と誤って宣言してしまいました。

そこまで期待されていないドラフト4位。身長は170cmほど、足は速いものの、外野まで打球が飛ばない非力さ。新庄の穴を埋めるなんてとても想像もできませんでした。

しかし、赤星は1年目から中堅手のレギュラーとして活躍し、盗塁王と新人王を獲得。新庄の穴を十分埋める活躍をします。

この野村監督の3年間にできた下地が、2002年から指揮を執る星野監督の時代で華が開く、18年ぶりのリーグ優勝に繋がっていったのです。

2002年の阪神タイガース

18年ぶりのリーグ優勝をする2003年の前年、2002年の阪神タイガースが、前年辞任した野村監督に代わり、中日の監督として活躍した星野監督が就任します。

頭脳を使う野村監督に代わり、鉄拳も辞さない熱血派の星野監督。長い低迷期で負け癖が付いた阪神タイガースを変えてくれるのは星野監督しかいないと、前野村監督の推挙により就任しました。

2002年は開幕7連勝と最高のスタートから始まり、5月末まではなんと1位。まさかの優勝が頭を過ぎりましたが6月から主力選手に故障が相次ぎ、結果は4位。

10年連続のBクラスとなりましたが、5年ぶりの最下位脱出。

僕はそりゃあもう嬉しかったです(笑) ファンになってからずっと最下位でしたからね。

2003年、怒涛の快進撃が始まる

前置きが長くなってしまいましたね。ここからは18年ぶりのリーグ優勝、2003年の話に入ります。

2002年オフ、血の入れ替えによる大改革

2002年オフ、阪神タイガースは”血の入れ替え”によって全体の1/3以上の26人の選手を入れ替えました。

メジャーリーグから先発投手として伊良部。日本ハムファイターズから長く阪神の投手陣を支えてくれることになる下柳。

セットアッパー・抑えとして活躍するウィリアムス。ドラフトでは鉄腕・久保田が印象的ですね。

そして、なんと言っても広島からFAで加入した金本。阪神タイガースの黄金期は金本のおかげと言っても過言ではありません。

個人的に好きだった坪井がトレードで日本ハムファイターズに行ってしまったことは、唯一残念でした。

2位を寄せ付けず、圧倒的な強さでリーグ優勝

4月26日に首位に立った阪神タイガース。その後も勝ち続け、7月末には2位に17.5ゲーム差を付ける圧倒的な強さ。

そのまま2位以下を一切寄せ付けず、9月15日に18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

広島、ヤクルトを対象に優勝へのマジックナンバーを「2」としていた阪神は、甲子園球場で広島に3―2でサヨナラ勝ち。その後、ヤクルトも横浜に敗れ、優勝が決まった。

asahi.com – 阪神タイガース、18年ぶりリーグ優勝 プロ野球

まとめ|2003年の阪神タイガース優勝は伝説に

以上、2003年劇的な優勝をした阪神タイガースの軌跡でした。

思い出のシーン ベスト10 | 3位 | 2003年 18年ぶりリーグ優勝

阪神タイガース球団創設80周年記念 特設サイト| 阪神タイガース公式サイト

改めて振り返えると、打線・先発・リリーフと穴のない強力な戦力が揃っていました。しいて言えば守備が比較的弱めですかね。「守備の名手」みたいな選手は少なかったです。

この記事を書いているのが2020年の秋なので、もう17年前にもなりますが、本当に色濃く記憶に残っている1年でした。

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